キリンの兄弟(15) 黒神博士の手紙
連続冒険小説(第十五回) 作:入来院重宏
第15章 黒神博士の手紙
黒キリン 様
拝啓 日本は新緑が目に染みる一年で最もいい季節です。いかがお過ごしですか。
貴兄の手紙楽しく読みました。
「楽しく」という言い方は貴兄には失礼かとも考えましたが、ほかに適当な言葉も見つかりません。
貴兄の手紙、いや実に楽しく読みました。
貴兄もご存じのとおり、人間には「人種」がありません。
より正確には人間は「人種」という概念をこの世から抹殺するために、それこそ狂気の沙汰とも言える想像を絶する馬鹿げた「人種政策」を実施し、それこそ完璧に実行してこの世から「人種」を事実上なくすことに成功しました。
不思議なことに、数世紀も前から既に人間に「人種」は存在しないにも関わらず、それでもなお「人種」という言葉は辞書から消えず、「人種」に関する研究者や書籍は年々むしろ増える傾向にあります。
まるで、人間はあれほど憎んだ「人種」をまるで懐かしんででもいるかのようです。
人間は元々は単一種だったものがそれぞれの住環境の影響を長い時間受けるうちに、その環境に適した身体的特徴を備え、「人種」へと発展しました。諸説ありますが、人種は大きく分けると①ネグロイド②コーカソイド③オーストラロイド④モンゴロイドの4種に区別することができました。
現在の人間に「人種」がないということは、現存するすべての人間の体内には基本的に上の4種類の人種の血が流れているということです。
同じ母から生まれた4人の兄弟がそれぞれ遠方の土地で家族を持ちその子孫が長い時間をかけ集落を作り民族・人種を形成するに到ったところで4人の兄弟の子孫全員を一同に集め、全員の血をブレンドしたというわけです。
人間は先の最終戦争の反省から、「すべての人間は高邁な共通の目標のため存在する平等で尊い存在である」という思想を掲げました。「高邁な共通の目標」とは宇宙を征服するということです。
違う言い方をすれば「神になること」です。
これは企業でいえば「経営理念」です。
すなわち、企業とはその存在理由を「高邁な目標達成を目指すため」とし、全従業員が目標達成にベクトルを合わせ鋭意努力邁進することによって最大の成果をあげる機能集団ですが、「経営理念」とはその高邁な目標のことです。
人間は人間社会が一つの大きな「機能集団」であるとし、企業で言う「経営理念」を掲げました。
そして、機能集団としての「機能」を阻害すると考えられるものすべてをリストアップし、綿密な計画の基にひとつひとつ削除していきました。
「人種」はその機能を阻害する最大の要因であったわけです。
貴兄は数百年前に人間が行った人種政策について研究し、同じことをキリンもできるのではないかと考えた。
人種がある以上差別はなくならない。
差別のない世界を作るには単一人種化を実施するしかない。そう考えたわけですね。
ご自身が珍しい黒いキリンであるためにいろいろな差別にあってきたし、お父様が亡くなったのも差別が原因だったと聞きました。さぞ大変なご苦労があったことでしょう。
ですが、人間の行った人種政策は明らかに失敗でした。キリンが同じような単一人種化政策を実施すれば人間が失敗したのと同じように必ず失敗するでしょう。
もし貴兄が私の研究室のキリンの原種のはく製を見て、それを単一人種化したキリンのイメージとされているのであれば、それは単なる誤解です。現存するキリンからは二度と原種を作りだすことはできません。
キリンと呼ばれるキリンたちは、今更言うまでもありませんがキリンの原種とは違う動物なのです。
原種の身長は約3倍あり、体重は約27倍もあるのです。
その代わり原種の知能は今のキリンの約30分の1しかありません。
原種は言葉をもっていなかった。
仲間と協同して仕事をするなんてことはできなかった。
そもそもキリンに仕事などできなかった。
食べて交尾し寝るだけの人生です。
たしかにすべてのキリンには原種の血が流れていますが、これもキリンの原種の血が流れている動物をキリンと呼んでいるのですから当たり前です。
ところで人種政策は一般には失敗だったと思われていません。でもこれはイコール成功だったということではありません。今更成功だ失敗だと言ったところでどうにもならないことなのであえて総括していないだけです。
私は単一人種化政策は過去人類が行ったあらゆる悪行・愚行の中でも他に比較の対象すらない最低最悪の蛮行だと思っています。この人種政策の前では最終戦争ですら立派な行為であったと思えるほどです。
人類は人種がある中で差別のない世界を作ることができたはずなのに、それこそ人類が目指すべき世界であったはずなのに愚かな指導者はその道を放棄してしまい、差別のない世界を作るためにあろうことか人種をなくすという安易な道を選択してしまった。
人種があるから人種差別があるというのはそのとおりだけど、人種がなくなれば差別がなくなるわけではないというしごく当たり前のことをまるで忘れていた。
したがって、人間は人種がなくなったときに実は本格的な差別を知ることになったのです。
「黒神」という名前からおわかりのように私の祖先は日本人です。
黒神という苗字の日本人の父とアフリカ大陸の小さな国で生まれた黒人の母の間に生まれた男の子が一代目とすると私は十四代目に当たります。
地球上はもちろんのこと、どこに住む者であろうと人間の顔かたちや肌・目・髪の色に大差がない現代では苗字こそがその者の素性を知る唯一の手がかりです。
すべての人間にまんべんなくあらゆる人種の血が流れている以上、自分の祖先が日本人であるということにいったいどんな意味があるのかというもっともな意見を言う者がいます。
私自身、日頃、自分の祖先が日本人であるということを意識することはありません。また同じように私の体に流れる敬虔なユダヤ人の血や勤勉はアングロサクソンの血を意識することはありません。
ここで私の祖先が日本人であることを述べたのには理由があります。
人類が過去、地球規模で行った最大の二つのプロジェクト、宗教の一元化と人種の一元化の両方に日本人が大きく影響しているのです。
貴兄もよくご存じのようにすべての人間は太陽を神とする一神教の信者ということになっています。
最終戦争終了後、それまでの神や信仰はすべて強制的に廃棄させられました。
「信仰の自由」は人間のもつ基本的な権利の中でも、もっとも基本的、かつ重要な権利です。
当時も「信仰の自由」が侵されることを最後まで拒否した民族や国家があり、彼らは最終的に信仰を選択し地球を捨てることになりました。
太陽を神とする宗教の起源は古く、古代エジプト人が太陽をすべての創造神として崇めていたことは有名です。
同じ太陽を神とする宗教といっても古代エジプト人の素朴な宗教と太陽を神と掲げながら実は人間を唯一無比の存在であるとする人間崇拝の現在の宗教では中身は180度異なります。
まぁ話せば長くなるので太陽を神とする人間の宗教についてはここで詳しくは述べません。
最終戦争後、地球再生を始めるにあたり、「単一宗教・単一人種の世界」がいったい秩序を保つことが可能なのか、その予測は非常に困難なものでした。
実は、この「新世界」を予測するヒントが日本人だったのです。
かつて、日本という国は長い間ほぼ完璧な単一民族国家でした。
日本のようないわゆる島国は他にも存在しましたが、日本のような歴史を持つ国は他にありません。
宗教の統一と人種の統一を同時進行させて行うということは具体的には人類=一民族の完成を目指すということです。
最終戦争後の世界の指導者は、日本という単一民族国家が「明治維新」という歴史の大転換期に自国の指導者のリーダーシップのもと粛々と、それこそ実に見事にそれまでの体制から全く新しい体制へと革命的変更を成功させたことに着目し、そこに新世界再生の鍵があると考えたのです。
民族としての日本人を簡単に定義すると次のようになります。
①日本人は完璧な単一人種(モンゴロイド)である
②日本人は天皇を神とする一神教「天皇教」の信者である(天皇教は日本人のアイデンティティそのものであり、自覚的・意識的には思想・行動を何等拘束するものではないが、アイデンティティであるが故に無自覚・無意識のうちに日本人のあらゆる思想・行動を拘束している。天皇教はいわゆるキリスト教やイスラム教、仏教といった宗教とは異なるが、あえて宗教の扱いにしているのは、この「思想・行動を拘束している」ことを理由とする。)
このような日本人が明治維新の際、七百年以上続いた封建時代をほぼ平和のうちに終わらせ、西洋キリスト教国が試行錯誤のうえ約四百年かけて作り上げた近代民主主義国家を指導者の強いリーダーシップの下にほとんど一夜漬けのごとく驚異的なほどの短期間で作りあげたのです。
この明治維新の成功の要素をあげればきりがありませんが、それまでの封建的身分制社会から近代民主主義社会への大転換の成功には天皇の存在が欠かせません。
日本が明治維新で新国家建設が進められていた当時、近代民主主義国家はそのすべてがキリスト教国でした。
民主主義国家は国民が法の下で平等であるという国家です。
「国民が平等」という思想は、神の前では人間は皆平等であるという思想が基になっており、その思想の下でそれまで不平等の扱いを受けていた人々が革命によって「平等」すなわち民主主義を勝ち得ました。
日本は明治維新によりそれまでの身分制社会を国家の指導者が民主主義社会に作り変えました。
その際、キリスト教国でいう神の代替としたのが天皇だったのです。
日本は「万世一系」である天皇という神の子孫を戴く国であり、天皇の前では国民は皆平等であるということです。
ここまでの説明で賢明な貴兄はもうおわかりになったことでしょう。
最終戦争後の新世界の指導者が理想としたのは日本人だったのです。
全人類にとっての日本人の天皇に当たるものを、当時の指導者は考えに考え抜いた結果これを太陽としたのです。
日本人にとって天皇はある意味血の通った「父」のような存在で、全人類にとって、この「血の通った」「同じ血が流れている」神はやはり実在していなくてはならなかったわけです。
想像力豊かな(もちろん皮肉です。)当時の指導者は、とどのつまりは太陽しか思いつかなかったということです。
地球は太陽の子であり、人間もまた地球の一部であり、すなわち人間は太陽の子であるというわけです。
さて、それでは、地球全体を島国日本のような単一民族にし、「我ら人間は太陽の子で皆平等であり人類の進歩のために生まれてきた」という洗脳をし続けた結果、人間社会はいったいどうなったのでしょう。
人類は差別のない幸せな世界を築くことができたでしょうか。
貴兄がご存じかどうか知りませんが、現在、この美しい地球で暮らすことができる人間は、実は一部の特権階級だけなのです。
人間社会は、職業ごとにいくつかの階層に分かれていて階層ごとで住居地が異なります。
地球に住むことができる者が最上級ランクの者です。
偉大な科学者や過去に多大な功績を挙げた科学者の子孫、そして政治家や官僚です。
次のランクは月に住むことができます。これも数は相当少なくやはり科学者や官僚等です。
その次は火星です。主に科学者、技術者、元教師等でここまでが上流階級と呼ばれています。
これより下の階層の人間は人工惑星に住んでおり、この人工惑星にもいくつものランクがあります。
数からすればほとんどの人間は人工惑星で一生を終えるのです。
この美しい地球を見ることすらなく死んでいく人間がほとんどなのです。
五百年前の指導者たちの中の一人でも、現在のこの差別社会を予想した者がいたでしょうか。
言うまでものなくこの美しい地球で生活する権利はすべての人間にあるはずです。
私自身、私が特権階級と呼ぶ恵まれた階級の者ですが、この地球には私と同じ考えの特権階級の人間は実は意外と多いのです。
そういう仲間たちと今まで政府に対してことある度にこのことは訴えてきましたが、残念ながら彼らはまったく聞く耳を持ちません。
長い手紙になってしまいました。
この手紙が貴兄からいただいたお手紙に対する回答になるかどうか自信ありません。
あなたたちキリンが人間のような愚かな動物でないことを祈って止みません。
2615年5月7日 黒神窓アンドリュー
(つづく)
この物語はフィクションです。登場人物や地名等は実在の人物・動物等、実際にある地名等となんら関係ありません。