キリン社会保険労務士事務所 コラム

陽平コラム⑥  小説を読むことについて考えました

 身近に読書好きの人がいるでしょうか。
本が好きで好きで堪らないとまではいかなくても、暇があったら開いてみるなんて人はいるはずです。
その人に「どんな本が好きなの?」とか「好きな作家は誰?」なんて質問してみましょう。
「いや、特に好きな作家はいないよ」、「最近はあまり読んでないから」なんてぼかした答えが返ってくることが多いのに気付くはずです。
その答えを鵜呑みにしてはいけません。
本当は好きな作家やジャンルが確立されている人が結構多いのですから。
では、なぜその様な返答をするのでしょうか。
「読んでいる本はその人の本質的な部分と結ぶついている」と、考えられているからではないでしょうか。
特に小説においてその傾向は強いのではないかと思います。

 個人と小説はどのように結びついているのでしょうか。
もちろんそれは人それぞれです。
でも、その人の読書傾向からその人となりを想像するのは難しいことではありません。
恋愛小説が好きならナイーブな人、ハードボイルドが好きなら硬派な人、推理小説が好きなら詮索好きな人というように、そこには出来上がったイメージがあります。
小説を読むことをある種の逃避と考えた場合、これには当たっている所があるのかもしれません。
小説には現実を忘れさせてくれる効用があるのは確かです。

読書は自由にやりましょう

 確かですが、小説はそれだけで成り立っている訳ではありません。
小説には多くのドラマや人生があり、日常も非日常もあります。
そこに没頭して自分を投影する人もいれば、少し距離を置いて眺めるといった姿勢の人もいるでしょう。
正解や正しい接し方があるとは思えません。
この本はこう読むべき、この本はこういったことを意図しているなどという感想は評論家や専門家に任せておけばいいのであって、私たち読者は自分の満足いくように読めば良いのではないでしょうか。
作者の意図を読み解くのが楽しいという人はそれで良いのですし、食事の描写が巧みだったからお腹が減ったというのも立派な感想のひとつです。

読書は個人的な行為ですし、主体的な行為でもあります。
スイッチを入れれば自動的に流れるといった便利さはありません。
2時間で終わる映画やそれ以下の時間で済ませられるテレビに比べると、多くの場合、時間もかかります。
だからこそと言うべきなのか、それでもと言うべきなのか分かりませんが、面白い小説による感動や興奮、悲しみは大きなものですし、その余韻は長く続きます。

 まだまだ暑い日が続きそうですが、「読書の秋」まで待たずに、クーラーの効いた部屋で読書などはいかがでしょうか。

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